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走っている時に今日はこう考えた。

自然の原理としてエントロピーは増加する一方なんだ。
これが高三化学で唯一覚えていることと言っても過言
ではない。とりわけそれは日々会話にあがる言葉でも
なければ、千載一遇会話に取り上げられたとしても
華やかに物語れるものでもない。
エントロピーを当時使用
していたアメリカの教科書
に掲載されていた例を使って説明するとしたらこうなる。
「あなたの部屋は自然と汚くなるものだ。一度事物が
あるべき場所にすべてを配置し、整頓したとしても、
一週間後にはそれらのものたちは”片付いていた”時
よりも、あるべき場所からずれているはずだ。つまり
自然と、部屋は整理整頓され、きれいになるのではなく、
逆に乱れて汚くなっていくのだ。秩序とかねあわせると、
自然の原理では
秩序はうまれず、秩序はなくなっていく。
そんな平衡点からものごとが乱れて秩序がなくなり、
ものごとが発散していくことを”エントロピーが増える”
という。」
どうりでアメリカの教材は分厚く、そして高価だ。

まあつまりは自然界はある方向に、それはエントロピーが
増える傾向に進んでいるのだ。氷はほっておくと惰性に
任せて溶け、ものは圧力が高い場所から低い場所へと浸透していく。
それはそのほうが”力を消費するのを防げるから”だ。
エントロピーを減らすためには莫大がエネルギーが
必要。それは自分の部屋を掃除して、ものを
あるべき場所にもどすのに力を必要とするのと同じだ。
だから自然の原理としては、カタチがくずれたり、どろどろと
浸透したり、スプロールしたり、膨張したり、収拾がつかなく
なったりするほ
うが当たり前なんだ。しかしながらエントロピー
増加の意味することは、惰性に任せてある秩序がなくなること
なんだ。よって無秩序がこれ以上追求できなくなる地点(最終点)で、
すべてのものは最初のカタチあり、秩序ありのスタート地点に
戻るために必要なエネルギーを最大限必要とすることになる。
でもこれまで垂れ流して、身を任せたまま流れ着いた先から
復活するほどの力は存在しないはずだ。
だから宇宙が縮小するための謎の力に科学者は疑心暗鬼だ。

それはさておき、少し壮大な仮説を提示するが、人はある使命をもって
存在していると思う。酸素や聖水、資源をこれでもかこれでもか
と飲み込みながら消化し、二酸化炭素、汚物、廃材を排出して
エントロピーを割り増しさせるためだけに生きているとは思わない。
というか思えない。
そして僕は人は生きているサイクルにおいて、増え続ける自然界のエントロピーを
減らす為に努力する役割があると思う。なぜならば秩序を乱し続けるだけの生き物を
これ以上算出しても、自分の与えられている分の猶予分の
”無料エントロピー消費量”が減らされてしまって、最終点に
近づくまでの時間が早まってしまうから。だか
ら人は知能を与えられ、
それを使ってどうにか自然を元のカタチに戻すことが要求されている
のだと思う。しかし今のところ、大量生産そして大量消費、資本主義、
経済効率によってものごとの善し悪しを考えるられる現代価値観をもつ
我々にとってはそれができているとは思えない。

まだ気がついていないんだ
勉強中なんだよね。

たとえば恋人同士がけんかをしたとしよう。
お互い強い負の力をぶつけあい、それを
持ち合わせて一日の生活へ繰り出す。
彼女はコンビニの店員のレジうちが遅くて
イライラを露にしてし
まう。彼は部下に必要もなく
怒鳴ってしまう。電車内で隣の乗客のイアフォンから
漏れる音楽に対して怒りを覚え、とてつもない
形相で睨み続けてしまう。
全ての負の力が伝播して、不快さを浸透させ、
物事の効率を少しずつさげ、回転率を
悪くしてしまう。
我々はこう、エントロピーを増やしている。

優しく振る舞うには力が必要。
寛大で
いることや、我慢することも
惰性に任せていてはできることではないはず。
でも一人が我慢をすれば、次の人へは負の力は
広がらないんだ。このような小さな変化で
我々はスケールの大きな使命を果たせるような
気がするんだ。そんなエントロピーを減らし、
世の中の歯車
の効率をあげる工夫を日々
模索することが仕事だと思っている。
自分が快適に、そして気持ちよく取り込める
日常の行動のなかでその切り口を見つけるのが
求められているような気がする。
ちょっと壮大な仮説だけれど。

by eclipseted | 2004-10-18 22:44 | [発insights想]
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