<   2006年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧
on プラナー一年目の課題
a0016843_1025934.gif

人は、善良の心を持って
生まれると唱えたのは孟子

僕も性善説派だ

例えばどんなに優れた
機能のビデオカメラで撮影しても、
こどもの笑顔は必ずぶれる

「私の腕のせいよね、仕方がない」

とヒトやモノのせいにせずに冷静に納得がいく
としたら、これは性善説のひとつの形

シミが落ちなかったのは、ワインを放置しすぎた私のせい
肌荒れするのは、コンシーラーではなくて体質のせい
ヒールのスリが速いのは、増えた体重のせい

そんな「私たち」の落ち度を少しでも補うための
うるおい成分やスーパーオートフォーカス
つばきオイルやカテキン配合

これらのスーパーヒーローたちは、我々の目の届かないところで
活躍している、



はずよね



信じる力を持つからこそ、
信じさせる者が登場し、
買わせるための理由があるからこそ、
信じてみたくなる



このサイクルと
謳い文句
「ハイビジョン撮影ですよ、今の思い出をキレイに残すのならば」


メスを入れるのも作り上げるのも、
実はマーケッターの日々の宿題だと思う
[PR]
by eclipseted | 2006-12-16 10:00 | [月occupation金]
on 引っ越すので
7時起床。朝食はほわほわの厚切り食パンを
指でちぎってゆっくりいただく。

a0016843_944694.gif


今日は次の引っ越し先を探すために
東急目黒線沿線の、知らない街を散歩。
場所は現勤務場所の田町駅、再来年の移転地赤坂、
クライアント本拠地下丸子、好きな場所表参道からの
距離均衡を考え、少し前から気になっていた不動前に
しぼって出かける。

自分は住環境が変わることにはいささかながらの
ストレスを感じる。初めての土地はそれが一層強い。
よって、新しい家は地図上の孤島のようにさびしくぽつんと
立つのが常で、そこからジョギングをしたり、知らない本屋を
開拓したりしながら、拠点の周りの「味」を知っていく。
まるでアメーバがエサを探しに触手を伸ばしていくのと似ている。

だから今回は、予め街の周りを散歩しておけば最初に痛感する
地図上のぽつんと取り残された感がなくなると考えて散歩。

とかく予定のない、冷たい雨の降る早冬の夕方にはもってこいの過ごし方。
からりと晴れた気持ちのよい日と違い、最強に劣悪な街の一表情を
見ることができるし、そこからはよくなるしかないイメージを想像する
だけでなんだか期待ができる。

予め脳裏に焼き付けたgoogle mapからの周辺上空写真を頼りに、
ぽかりと開けた青い空の(はずの)武蔵小山駅から始まり、
さくら並木道のキレイな(はずの)かぬら坂を降り、
穏やかなあたたかみを放つ(はずの)不動前駅周辺を渡り歩き、
勢いで見せてもらった上品すぎる(はずの)ワンルームの部屋を
案内してもらう。

案内してもらったのは、20年前に漫才コンビを組んでいたような
不動産屋のおっちゃんたち。二人の、どうみても土曜日の夕方とは
言えゆるすぎる雰囲気に同調しあう何かを感じ、おそらく数週間後には
この場で契約書を書いている自分が想像できた。
内覧した部屋にもその同じ温度が。

きっとこのコトバに成り得ない心地よさを、解明するべきインサイトとして
我々はマーケティングにいかさないといけない。第六感マーケティング。

明日も全く窓がない50平米の地下空間付きの
コンクリートの塊を見に行く。

帰りに年に数回会って話を交わす大好きな先輩をらちし、
ラテをおごっていただく。彼は僕が尊敬する数少ない
人間の一人で教員だ。授業中もハートレートモニターを着けるような
いささか気の狂ったような先輩と職場の話、生徒の話、女の子の話、
インドの話、広告の話、トミーリージョーンズの話をして
武蔵小杉駅でお別れをした。

彼と僕とは同い年だが、いつまで経っても敬語で話してしまう。
あらためて、まだまだ当分敬語は抜けそうにない。
[PR]
by eclipseted | 2006-12-09 22:49 | [日daily記調]
on イ ル ミ ネ ー ト  a k a r i u m
a0016843_23162737.gif


渋滞と観光公害によって余儀なく中止となった
表参道並木道の年末のイルミネーションが、今夜八年ぶりに復活した

               akarium

表参道はニュージャージー州のリヴァーヴェール市の次に好きな街
そんなスポットの再挑戦

照明デザイナーは面出薫-メンデカオル  企画には博報堂の名前もある
過去の経験を生かしてか、煌々と煌めくイルミネーションというよりは
ぼんやりと灯りをにじませる、どことなく大人しげな雰囲気が漂う工夫
がなされている

元々日本におけるイルミネーションは
1931年に、銀座の三越デパートが年末商戦の
集客効果を狙って欧米から輸入したものだった

当時見られた奇抜さと華やかさで万人を魅了する時代は終わり、
今は個々人の受け止め方が演出の半分を請け負う風潮がある

それは必ずしもコトバにしなくてもよい千差万別の
気持ちを人は自覚するようになり、それぞれのカスタムメイドな体験に
呼応するような仕掛けと意図がより望まれるようになったからかもしれない

始まりは小さな単体
その集積が特筆される大きな事象を作り出し、やがて
のびのびと大きくなり、世に広まっていく

最初のそれは、そっと開いた両手の中からゆるやかに飛び立つ
蛍の緑黄色の灯りのように淡く、そして小さい

最初のそれは、大きくて凛としたクリスマスツリーの枝先についている、
よく見るとペンキのはがれかけた騎兵隊人形の
オーナメントのように地味で質素

そんな淡くて小さくて地味で質素な工夫ほど、
最も心地のよい演出と意外な安心をもたらしてくれることがあると思う

そんな今日この頃
[PR]
by eclipseted | 2006-12-05 23:16 | [場places所]