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on 泣ける 数

美しいをまたひとつ

それは、もっとも近くにありました

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by eclipseted | 2006-07-30 21:45 | [友people達]
on 適当なツール
自分の道具は、うちらのツール
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B & O A8イアフォン
LAMY 2000ボールペン
Moleskine ポケットノートブック

消しゴムを最後まで使い切ったことがないのに
いつの間にか一丁前の道具を揃えてる。
書き方鉛筆は、卒業も出来ずに中退したが
LAMY サファリはインクを乾かしかねない大胆
な使い方をする。

道具を揃えて一体いずこへ、と自問する。
それは果たして自分の投資か、自分の消費か。
極めて曖昧な境界線を、その都度修正し
ちょこちょこっと書き直す。

今週に限って言うならば、全部投資よりとの判決くだる。
真っ黒な同期と、真っ白な親友と、
気鋭な先輩と、角を減らした父親と
気の許せる時間と他愛ない話の種となれば、
道具は初めてツールとなる。

うちらにあった、適当なツールという投資。
更地に線を引くのも、このツール。

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by eclipseted | 2006-07-29 13:58 | [発insights想]
on ジュニア 音読 

電車に揺られている途中、子どもがほしいと思った。
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正確に言うと、満員電車に連れて一緒に乗らせたくない
大切なヒトは自分の子どもだろうなと思ったからだ。
去年、教授のShigeru Ban氏が言っていたっけ。
僕が、会社と保育園が近くにあって、ジュニアがパパと
通勤できたらその時間分は安心できるひと時になりませんか、
と提案した時。彼はそんなの可哀相に決まっているだろう、
と僕の設計案を一喝し、非難した。

うん。僕が生活者になりきれてなかった。彼には子どもが
いる。僕にはいない。分かるものと分からないものの差は
歴然としてた。でも一つ。いなくても、想像できないことはない。

一人の時とは違って、他人のために生きる責任が伴うのが、
子どもと生活を共にすることだと最近考えるようになった。

ただ責任を全うすることに尽くしていると、一緒に過ごす
時間をも犠牲にしかねないことも事実。
だからヴォルヴォだけれど、クロスカントリーに乗ったり、
週末だけれどたき火組んだりするんだな。

僕だったら寝る前は絶対音読してあげたい。
自然と絵ばっかりの絵本しか選ばなくなるかもだけれど。
自分が嫌いだったから、本は好きになってほしい。
贅沢を言うと自分で本を選べるような子どもになって
もらいたい。

本棚も一緒に一から作りたいや。レパートリーから、
コンテンツまで。決めた。本棚だらけの家にしてしまおう。
それで毎日そこから選んできて一緒に読む練習をする。
うん。決まり。


買うだけで読んだつもりの本だけが溜まっていく近頃。
ちょっとまだ無理そうだな。自分がしばらく子どものままだし。



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by eclipseted | 2006-07-22 00:06 | [友people達]
on ざんげ
身勝手な自分はいつか終焉を迎える

最後はすべてが背景に溶けていくのみ


俺が遅かった 
ほったらかしにして
ほんとに

ごめんなさい



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by eclipseted | 2006-07-10 09:30 | [懺confession悔]
on 写真のきまり
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写真にはとてつもないこだわりがある。
 だから好きではない写真は絶対にブログに載せない。
勿論自分で撮るのが好きだから、引用はあまりしない。
「これは見事!」と思える写真に出会ったら、模倣でも
自分で撮りにいく。ちなみに僕はプロでもマニアでも何でも
ないし、市販のデジタルカメラの平均価格よりも少しだけ
安いモデルを使って撮影しているのだけれど、
そんな写真を通して考えていることを
少し整理。

大きく分けて、「哲学」と「きまり」

まず哲学みたいなのがあって、ずばりこれ。
「目で見えたものを、そのまま観せる」こと。
以上。
これが実際結構難しい。
実は気がつかないけれど、目で見て
「うわぉっ、これはんぱない」
って感じる時って風景全部をひっくるめて
「はんぱない」のだと思っている。
視野が広がる170°?(よく分からない。僕、詳細に弱い)
は見ている被写体の周りをただただぼやんと
取り巻いているだけなのだけれど、その周りのぼやん
まで含めて臨場感とか、圧倒感を感じるのだろう。
勿論通常のカメラはそんな角度分の風景を一緒に記録
できないから、そこで工夫が必要になる。

僕が工夫することその一。
出来るだけ、臨場感がでるように、周りを頑張って撮る。
そのためには、下から撮ったり、斜めから撮ったり、遠ざかる
感じを見せるために撮ったり、ありんこの目線で撮ったりする。

いきなり工夫について書き始めたけれど、これは全て
「哲学」のあとの「きまり」に入る。
だから「きまり」はすべて「哲学」に直結している。

工夫その二。
一番撮りたいものが何だかはっきりさせる。
それは川なのか、カップルなのか、空なのか。
ちなみにこのセーヌ川で一番撮りたかったのは
壁と壁の間の、川の少し上の空間。
見えますか?

目に見えないものが被写体とかって、ちょっと
いんちき詐欺師みたいだが、実際そうだった。
肝心なのは、その被写体を撮るために、他に
同じ枠に何を入れればよいのかを見つけること
かもしれない。

その三。
観ている人を不安にさせない。
ちょっと説明。
よく高層ビル(例えば六本木ヒルズ森ビル)に圧倒
されて撮りたい衝動にかられるけれど、あれは結構
難しい。
なぜ「はんぱない」かを考えると、
自分が地面に立っていて、ビルも地面に立っていて、
そしてビルは上空まで伸びて空に触っているけれど、
自分の頭はぜんぜんぜんぜん下の方にあって、
空には触っていないということ。

訳分からないかもなので、さらに説明。
要はビルは「何と比べて高いのか」を写真で
観せない限り、高いと感じられないのだ。

だから根元も写真におさめ、同時に一番上も写真に
おさめる。上の写真で言うと、右側に立っているマンション群の
一階も、そして最上階が空に接する部分も、全部写真に
入っているということ。

どんなにヘアスタイルが奇麗な人の写真を
撮りたくても、僕は絶対に足から頭まで、全てを
写真の中におさめるようにする。よって、下半身が
ちょんぎれて写っていない被写体は、完全にバックグラウンド
に等しいと思っている。

勿論友だちと一緒に肩を組んでアップで撮る場合は
これは該当しない。なぜなら、これはこれで
肩や胸、洋服が表情のバックグラウンドになり得るからだ。

観ている人の不安は、ビルが一体どこで始まり、どこで
終わるのかが分からない時に高まる。
そんな不安とストレスを出来る限り取り除くことで、
より「目で観ている絵」を写真で表現できると思っている。
僕はここで無意識に粘っているような気がする。

ちょっと長くなったので、
今日はその三で終わり。

明日も仕事。
田町まではDavid Ogilvyを読みまくる。

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by eclipseted | 2006-07-02 23:40 | [広imagery告]
on ちなみにカレー風味鶏唐揚げ

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ダンディなスーパーバイザー二人と三階で昼を食べていたときの話。

僕は情報過多の毎日の生活についてお伺いしてみた。
始業から終業まで、千差万別のパートナーとチームメンバーと会い、
たくさんの打ち合わせの内容が、右から左へと抜けていくことってありませんか、
と。
すると、半分は慣れ、半分は聞き流してクリアしていくという結論に至った。
前者の慣れ、とは。
耳に入ってくると同時に、頭の中で今までに直面した、似たような経験と
結びつけることで「あぁ。これは以前のこれと一緒だな」といった
カテゴリー分けをすることだと思う。

例えばメキシコでカエルの唐揚げを食べたとする。
でも味はというと、なんとなく鶏モモっぽいね、と決めて片づける。
それは鶏唐揚げカテゴリーが頭の中には既に膨大にふくらんでいて、
単純にカエルの唐揚げカテゴリーはまだ発達していないから。

この慣れ。父親が先日書いてきたメールの内容にもあったが、
良くも悪くもはたらくくせ者。結局新しい刺激が強すぎると
体は疲れちゃうから、常に安心できる、納得できる、心配しなく
てもよい方向に進もうとするから。

もう一方の聞き流し。
これはそのまま。
聞き流して終わり。
あいづちをつくのがうまくなってきたら要注意。
ちなみにお二人のあいづちレパートリーは
「へぇぇぇ。」    と    「えぇ。えぇ。」
両方ともダントツな説得力を持っている。

でも個人的にはこれも前者の「慣れ」と表裏一体だと思う。
「局長の話、長そうだから聞くのやめてやる」
と思った瞬間にはもう既に話の内容が推測できているのだと思う。
話す以前に「鶏唐揚げカテゴリー」や
「局長上海出張キャバレークラブ武勇伝」カテゴリーに部類分け
されてしまうのだろう。
聞いていないのではなく、聞く必要がないことを推測する技が
「慣れ」であり、「聞き流し」である。

いや、本当に聞いていない人もいるけれど。


近頃僕にも慣れが多くなってきた。
慣れすぎて意識しないことがあまりにも多くなってきた。
12時間オフィスにいても、苦もなく疑いすら持たないこと。
めっさ汗をかきながら電車に乗る自分が気にならなくなったこと。
一日最も向かい合ってやりとりをしている相手が、
厚さ2センチの液晶モニターだということ。
コンビニのレジの店員は、実は自分よりも疲れているということ。
ただ新発売されたという理由だけで、ウン万円の携帯電話を
どの週末に購入しようかと考えること。
「夏休みの予定は?」と聞かれて、休みがあること自体
不思議に思うこと。
ジャンプをへらへらと読むおじさんも、大事な生活者だということ。
七月が半日前に始まったこと。
そして「へぇそうなんですか」が
あいづちレパートリーに増えたこと。


もしかしたら昨日のカレー風味鶏唐揚げも、
実は鶏じゃなかったのかも、なんてね。

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by eclipseted | 2006-07-01 09:58 | [発insights想]