<   2005年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧
on A型の小惑星探査機
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A型の日本人が作り上げた、
A型の小型小惑星探査機「はやぶさ」について。

まずは血液型。

血液型性格特性として、A型は
「几帳面で神経質。気遣いなは抜け目なく
ものへのこだわりを持つが、
いざという肝心な時には意外と抜けている」

と言われている。

しかしながら、おそらく自分がA型であると
知らされているヒトであれば、これらの特性のどれかに
自分があてはまる、身に覚えがあると答えるのが自然だろう。
仮にプラシボ的に、他血液型の人間をA型と装わせて
みるとしても、絶対にあてはまる特性はある。

要は血液型で正確特性は断定できない。まる。

そもそも血液型性格論とは、1928年に教育学者の
古川竹二が唱えたものであり、大まかなアンケート方式によって
血液型と性格の関連性を研究したものだった。
よって科学的根拠はおろか、現在のABO式血液分類が
どう考えても四種類にしか分かれないはずがなく、
人格を断定できる指標としてはあまりにも主観性の高いもの
だということが分かる。

[ちなみにABO式は、血液内のヘモグロビンの糖鎖を作っている
部分的な違い、ということで、実際は百種類のオーダーで
血液型は分類される]

それはさておき、肝心の探査機「はやぶさ」に関して。

世界で初めて小惑星(今回は地球から2億9千万キロ離れているイトカワ)
に着陸するはずだった、日本製の小惑星探査機「はやぶさ」が
20日づけの日本経済新聞によると、着陸に失敗し、交信がとだえてしまった、
ということだった。




あらら。




ところがだ。


23日づけの同紙によると、どうやら
探査機「はやぶさ」は、実は小惑星イトカワの着陸に成功していた、
ということが判明した。

丸2日間、「はやぶさ」は地球上の懸命な「捜索活動」も
おかまいなしに、立派に着陸を果たして自らの使命を遂行していた
ようだ。


ぱちぱち。


実は着陸に成功していた、ってところが茶目っ気たっぷりで
なんとも愛おしい。

きっと小惑星面を右往左往しながら自己の安否を
どうにかして地球に知らせようと試みていたのだろう。

ところがこの先がある。
同紙はこう続く。 



「ただ、小惑星の砂や岩の破片を採取する作業には取り組んでいなかった」
と。

ん?


これには少し首を傾げざるを得ない。
とういのも、小惑星着陸探査機ともあろうものなら、
もちろん自動操縦機能を駆使して、着陸してからの一連の
計画遂行プログラムがインプットされているはずだから、
宇宙機構が言うように、
「小惑星の砂や岩の破片を採取する作業」に取り組んでいてもよかったはずだ。

ただ、   もう一度、    ただ、
「はやぶさ」はイトカワでは、その「採取する作業」には取り組んでいなかったのだ。



彼は、多くの困惑する傍観者の眼差しの中、
着陸したのにも関わらず、なんと「さぼっていた」のだ。。

当初は着陸したかどうかも知り得なく、交信もとれなかった
探査機だったはずなのに、
もう二度と日の目を見ることがなかった技術の賜物だったはずなのに、
着陸していてひとまず成功と
誰もが開口出来る前に、「破片を採取する作業」に取り組んでいなかったことを
まるでとがめられているようだ。


ますます愛おしさが増してくるではないか、この「はやぶさ」め。


これを目にして最初に思ったのが、日本人の謳う
A型性格特性だ。
几帳面で徹頭徹尾しているはずなのに、
なぜかぬけている。かならずどこかでぬけている。
だから侮れないけれど、どうにも憎めない。
この「はやぶさ」め。

ペットは飼い主に似、
子は親を見習う。
まさに落ち着きのない、作り手の心がそのまま
宿ってしまったかのような小惑星探査機「はやぶさ」。

たまに日本人でほっとする時があるのだが、
今回はまさにどんぴしゃだ。
2億9千万キロ離れていても、うちは宇宙機構と共に応援してます、
このイトカワの「はやぶさ」め。
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by eclipseted | 2005-11-26 02:26 | [設design計]
on 夜な夜なもんもん
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僕の大好きな人達とは、
得てして夜な夜な遅くまで仕事をしている人達。
そして僕が大好きな仕事とは、
得てして草木も眠る丑三つ時に行われている。

みな一人もんもんと、ヒトを楽しませる工夫を練っていたり、
一人もんもんと最も育つための栄養補給をしていたりする。

煌煌と照らされる机の天板と、
にらめっこをしている時間に
比例する訳ではないけれど、
翌日持ち寄られる案一つひとつには
強い発想と新しい進展が込められている。

それは、プライドから生まれるではなく、
義務や義理の産物でもない。
明確な根拠の基でひとひねりが加えられ、
目映(まばゆ)いばかりのキレが随所に満ちている。

好きだから考える。考えるから好きになる。
たまたま好きが、またまた好きに。
またふりだし舞い戻り、一息ついて始め直す。
ただそれだけだ。

四月からの新境地では、
得てしてどこであってもなにであっても眠れない。
もう一度。
どれにいってもどこへいっても、
ぜったいぜったい眠れない。
得てしてみんな、
暗黒の帝王ごっこ。
眠れないし、眠らない。

けどそれでもよいんじゃないかとふと思う。
冷えた床へ夜道を帰り、気にかけながら眠れるよりも、
好きな仲間と好きな考え巡らせて、
夜な夜なもんもん、またもんもん。
一度だけの、片道切符だし、
こんな機会滅多にないし。

ほら、一番よい朝顔してたいしね。
僕の好きな人達はそんな朝顔してるしね。
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by eclipseted | 2005-11-22 01:20 | [友people達]
on ピカイチ ピカイチ
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いつまでもナンパされたまんまでいるのも
いささか「ださい感」がつきまとうので、
いい加減書いてみよう。
powerbook G4が回復したことだし。


僕の好きな表現でこんなものがある。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。」
James Web, Youngが提示した定義だ。

要は誰かが既に考えたものを、こねたり混ぜたりしながら
うまい具合に調合した結果がピカイチなアイデアとなること。
よって無からモノを生み出すことは要求されることはなく、
肝心なのはその調合法を自分で編み出すということだ。

似たような事で、今まで人間が想像できる範囲内で行われる
処刑・拷問は、すべて既に誰かによって想像されたか、
あるいは実践されたことがあるというのもある。
もちろん二重三重にも苦しみを倍増させるための
拷問組み合わせ法なんてのは、open to discussionとして
可能性はいくらでも残されているということだ


だから頭数がそろえさえすれば、ひらめきは人海戦術的なところがあり、
互いにポンポンと、そして無作為に浮かび上がるアイデアのちりをかき足すことに
よって、想像を絶する価値があるアイデアの塊ができるのだ。

そのために大切なことは、
1)出てくるチリは、いくら突拍子のないものでも阻まない
2)自分では見出すことができないアイデアこそ、尊重する
3)プロセスを楽しみ、そして楽しませてあげる
ことを自分は意識するようにしている。
だからより粒揃いよりも粒違いである集まりこそ、斬新的で不思議な力を
生み得るのだと思う。


それを受け、今日出会った人種のことを少し。

自分はバイリンガルの講師として雇われている。
僕と同じように、そこで働く同年代の友達とはなかなか出会う機会が
ない。だからアルバイト友達というものは、自分にはいなかった。

これはすごく惜しいことで、実際登録している講師の多くは
秀逸で抜け目ない考え方や、奇抜で尚かつ気さくなセンスの
持ち主であり、こういった友達と知り合える機会を作ってこなかったのに
今は少し悔やまれる。
特に多才で、千差万別の個性を誇る人達だから、それこそある
きっかけを隔てて集まれた時の力は計り知れないだろうと自分は考える。
自分はそんな集まりに、果たしてどんな貢献ができるのか、
果たしてどう行動したら喜んでもらえるのかを考えるとドキドキする。

しかしながら同時に、類は友を呼ぶという諺の通り、いささかメタレベルで
俯瞰してみると、やはり似た者同士で集まっているのだなとも実感する。
学歴は関係ないと今日は言われた。
確かにね。
けれど学歴や名目ではない、そこに通う人達と同じ空気を吸うことができる
機会こそが最も大切なのでないかと自分は考える。
そんな空気が今の仕事先にはあり、そこの空気が心地よいし、
実際他の何かを犠牲にしてでも、そこで働いてみたいという衝動さえ
感じることがある。

だから同じ空気と同じ環境に導かれて、近寄ってくる人とやっと交わせる
会話や、共感できる趣味を知れた時にはなんとも形容し難い嬉しさを
感じることになる。そう。何らかの糸を辿っていって見つけた相手というのは
そう簡単には手放したくないと思う。
(今日特に嬉しかったのは、自分とは何層か隔て同じ空気を
吸っているヒトと、スクァッシュと水泳をやろう
という約束ができたことだった)



少し強引なきらいはあるけれど、
この世界では、ヒトでもアイデアでも粒違いのもを集め、
確率論的な掛け合いをすることでピカイチなものが
生まれたりする。その掛け合わせ方と、
かき混ぜられるサラダボールを用意するのにもまた
ピカイチのセンスが必要とされる。
自分は両方のピカイチを目指せるような人間になれるだろうか。
それを考えるとドキドキして眠れない今日この頃だ。
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by eclipseted | 2005-11-18 02:05 | [発insights想]
on [ナンパ] キャスパー、メルコワー、バルサザー編
 
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ナンパをされた時、それを純粋に喜べるかと言うと、
決してそうではないと僕は思う。




特にナンパ師がヒゲを生やしていたり、




綾小路きみまろにそっくりだったり
した場合は。

そもそもナンパとは、

なんぱ 0 1 【軟派】 : 遊びを目的に異性に交際を求めることをいう。
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)

なので正確に言うと、自分はただ寝ている女性に間違えられただけ
なので、ナンパをされたわけではない。

なぜなら相手も自分んも、男と男だったから、
それはいくらひっくり返っても、
足してもかけてもどちらかが到底「異性」になることは
あり得ないから。だから厳密に言うと、
自分は、「ナンパをしていた三人組に間違って絡まれた」
ということだろう。

定義はさておき、彼らは自分の、
仕事帰り東急東横線特急深夜の聖地
にずかずかと土足で入り込み、自分のビューティースリープを完全に
蹂躙しにきた。
そもそも自分が降りるべき駅で降りずに、終点まで寝てようと
思ったことがいけなくもあるが、
しかしながら自分を女性と間違えるのは、いかんせん如何わしすぎるので
ぜひそういう時に限っては、やめてもらいたい。
ほら、すね毛とか見えないくらい酔っていたのか、すね毛とか。

それはそれと、彼ら三人組は、少なからず話しかけられたことに
興味を持ち始めた自分の受け答えに好印象を受けたのか、
自分でも満足だったのか、横浜まで一緒に帰ることになる。
その間、彼らは自分と宙で腕相撲をし、上腕二頭筋の大きさの
比べっこをし、世界で最も裕福な人種はユダヤ人だと言い切り、
「デービッズスター」を「ダビデの星」だと自分の発音間違いを指摘し、
首に下がるダビデの星のネックレスを順々に披露し、
(完全にやる気のない男の一人の胸元のボタンまでもを
彼らは開けて披露した。それはそれで立派だったと思うし、
その三人のノリ気の温度差も立派だった。) 、自分の英語の
発音は「日本の文部科学省によってかちこちに凝り固まってしまって
いるから、気をつけろ。今ならまだ間に合う」と助言をしていただき、
(うん、それすごく必要だったね)年商三億円を稼ぐが同時に八百屋を
経営していると伝え、逆に自分の確定申告ギリギリの年商は
「まだまだ甘い」と一喝していただき、世界一大切な仕事は
お客様のことを最も最初に考えながらどれだけ満足してもらえるか
を考えることだと提案し、SEXは若ければ若いほどよい
と促し、そしてスマイルを大事にして気をつけて帰れよ、と言っていた。

途中、本当にどうしようもないことまで助言してもらったが、でも
これだけは言える。それは、彼らは何一つとして僕のためにならないような
言動は行わなかった、ということ。
それは目を見れば分かる。
それに、きっと彼らも自分の目の中にある何かを悟ってくれたから
こんなすんんんばらしいセッションを繰り広げてくれたのだろう。
目すら開いていない、爆睡時のナンパとはもはやわけが違うよ。

生粋の日本人であるにも関わらず、最後の最後まで自分達がユダヤ教を
崇拝していること。そしてこのような突発的な出会いこそが
ヒトの持ち得る最も大切な資産であることを
彼らは一番誇りに思っていたようだった。

自分も全くそう思う。
だから敢えて言うならば、あの夜、ナンパを企てていた彼らに
絡まれてしまった出会いは、どこかで必ず自分のために力を発揮してくれる
基になる気がしてしょうがない。

 ちょっとすっきりした。


PS
 家に帰宅し、どうもダビデの星と三人組が頭に引っかかっていたので、
 思わずgoogleで検索してみた。。
 すると、思いは的中。  なんと"three wise men"は聖書に登場する
 キリスト教の人物達だったのだ。
 Wikipediaによると、"三人のMagi/wise menとはキリストの誕生を祝うために
 遥か東方からイスラエルに向かった人達"ということだった。
 名前はそれぞれ Caspar, Melchior, and Balthasar。
 当時はmagiという言葉は魔術師という職ではなく、
 知識人や、王権にあたる人々のことをさしていた、ということだ。



 どうやらとんでもないモノ達にあってしまったな。。。
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by eclipseted | 2005-11-06 02:01 | [友people達]
on Bruce Weber と 帰り道
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スポットライトが友達になるのは誰にでもある経験だろう。
ステージに降り注ぐ二対の瞳達はまるで流星群のようにこちらに向き、
まるで吸って吐く息の微塵までもが観客に応える。
心臓の高鳴りは躍動感を急騰させ、耳なりは
観客のざわめきと共鳴して心地よい振動を伝えてくる。

燦々と落ちる白熱灯の光は、静まり返った空気を芯から温めながら
次のパフォーマンスのベンチウォーマーとして包んでくれるのだ。
その時、自分は初めて
ポップスターとして覚醒する。

やがてショーは終え、拍手と共に闇夜が舞い降りてくる。
本物の流星群はとうに丑三つ時の漆黒にさらわれ、
深々と凍り付き始める白い息は一瞬にして命を奪われていく。
さぁ、帰ろう、と自分に言い聞かせるポップスター。

誰しもが憧れるそんなスターも、みんなよりも少し
遅れて帰りの淋しい淋しい帰路に立つ。片割れは、色あせた
メイキャップと、哀愁漂う衣装にしがみついた熱気の
残骸だけ。それが帰り道だ。

秋はなにかとそんな夜道を創造してくれる。
最後はみんながみんな一人で帰るんだ。

先日、アメリカ人の写真家、ブルース・ウェーバーの
写真展を訪れた。彼の写真は、滴る雫は肉体美を
演出する最高のメソッド。 彼の白黒写真群は
ポップスター達が踊って黄色い声援を浴びるステージのよう。
そんな中の、一つだけ覚えて帰りたいメッセージ。

"While you're on stage, the audience     「舞台の上にいる間は、観客が
 is standing and applauding and yelling,   立って拍手喝采し、そして熱い声援を 
 but when you get home, you take off    送る。それが、自宅に戻り、洋服をすべて 
 all your clothes, and get into bed alone   脱ぎパジャマに着替え、一人で床につく時だ。
  - and that can really do something to    我々が精神的にも情緒的にも
 your head and heart."            一番参ってしまうのは」
        -Bruce Weber


 ちょっとだけの気休めでもよいし、
 ちょっとうそだってよい
 ちょっとだけそれでほっとできるから
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by eclipseted | 2005-11-02 00:24 | [場places所]