カテゴリ:[発insights想]( 135 )
on 一人と二人と一匹一匹
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一生食えつづける
サルがいる。
専門職は
考えるサル。

昨日からひたすら考える。
                        
                    その間一人で泳ぎ、
                    一人で涙し、
                    一人でふける。

どんな麻薬よりも
高い中毒性を誇る
エンドルフィンが
大量に分泌される
仕事の虜になる
こと。


それは思い描くシナリオを
実践して
実線にして
カタチにする前に
伝えることから
すべてが始まる。

                     任されるってそう。
                     頼られるってそう。
                     求められるってそう。
                     信じられるってそう。

説明不足でありながらも
直感や情で
理解しれくれるも、
わからない、と
一蹴されるも
ひらがなや
図や
身振りや
想いを通して
伝える力に
すべてが宿る。

昨日から
パートナーと池袋を復元し、
トレーナーと婚約テロップを書き、
そしてマエストロと動かすコピーを想像した。

                                     その間一人で泳ぎ、
                                     一人で涙し、
                                     一人でふける。

サルはサルでも考える。
サルはサルで考える。
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by eclipseted | 2005-12-01 01:11 | [発insights想]
on ピカイチ ピカイチ
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いつまでもナンパされたまんまでいるのも
いささか「ださい感」がつきまとうので、
いい加減書いてみよう。
powerbook G4が回復したことだし。


僕の好きな表現でこんなものがある。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない。」
James Web, Youngが提示した定義だ。

要は誰かが既に考えたものを、こねたり混ぜたりしながら
うまい具合に調合した結果がピカイチなアイデアとなること。
よって無からモノを生み出すことは要求されることはなく、
肝心なのはその調合法を自分で編み出すということだ。

似たような事で、今まで人間が想像できる範囲内で行われる
処刑・拷問は、すべて既に誰かによって想像されたか、
あるいは実践されたことがあるというのもある。
もちろん二重三重にも苦しみを倍増させるための
拷問組み合わせ法なんてのは、open to discussionとして
可能性はいくらでも残されているということだ


だから頭数がそろえさえすれば、ひらめきは人海戦術的なところがあり、
互いにポンポンと、そして無作為に浮かび上がるアイデアのちりをかき足すことに
よって、想像を絶する価値があるアイデアの塊ができるのだ。

そのために大切なことは、
1)出てくるチリは、いくら突拍子のないものでも阻まない
2)自分では見出すことができないアイデアこそ、尊重する
3)プロセスを楽しみ、そして楽しませてあげる
ことを自分は意識するようにしている。
だからより粒揃いよりも粒違いである集まりこそ、斬新的で不思議な力を
生み得るのだと思う。


それを受け、今日出会った人種のことを少し。

自分はバイリンガルの講師として雇われている。
僕と同じように、そこで働く同年代の友達とはなかなか出会う機会が
ない。だからアルバイト友達というものは、自分にはいなかった。

これはすごく惜しいことで、実際登録している講師の多くは
秀逸で抜け目ない考え方や、奇抜で尚かつ気さくなセンスの
持ち主であり、こういった友達と知り合える機会を作ってこなかったのに
今は少し悔やまれる。
特に多才で、千差万別の個性を誇る人達だから、それこそある
きっかけを隔てて集まれた時の力は計り知れないだろうと自分は考える。
自分はそんな集まりに、果たしてどんな貢献ができるのか、
果たしてどう行動したら喜んでもらえるのかを考えるとドキドキする。

しかしながら同時に、類は友を呼ぶという諺の通り、いささかメタレベルで
俯瞰してみると、やはり似た者同士で集まっているのだなとも実感する。
学歴は関係ないと今日は言われた。
確かにね。
けれど学歴や名目ではない、そこに通う人達と同じ空気を吸うことができる
機会こそが最も大切なのでないかと自分は考える。
そんな空気が今の仕事先にはあり、そこの空気が心地よいし、
実際他の何かを犠牲にしてでも、そこで働いてみたいという衝動さえ
感じることがある。

だから同じ空気と同じ環境に導かれて、近寄ってくる人とやっと交わせる
会話や、共感できる趣味を知れた時にはなんとも形容し難い嬉しさを
感じることになる。そう。何らかの糸を辿っていって見つけた相手というのは
そう簡単には手放したくないと思う。
(今日特に嬉しかったのは、自分とは何層か隔て同じ空気を
吸っているヒトと、スクァッシュと水泳をやろう
という約束ができたことだった)



少し強引なきらいはあるけれど、
この世界では、ヒトでもアイデアでも粒違いのもを集め、
確率論的な掛け合いをすることでピカイチなものが
生まれたりする。その掛け合わせ方と、
かき混ぜられるサラダボールを用意するのにもまた
ピカイチのセンスが必要とされる。
自分は両方のピカイチを目指せるような人間になれるだろうか。
それを考えるとドキドキして眠れない今日この頃だ。
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by eclipseted | 2005-11-18 02:05 | [発insights想]
on せいしゅん の おもむき
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バトンだ。ほらよ、みたいに手渡されてさ。
しかも手渡しの一連の動作を、かなりの時間をかけて練習した
走り手なんてのは、バトンと自分の手がしっくりぴったり
まるで何かの魔法のようにくっつくように手渡ししてくれる。
いつの間にか握らされていて、それでいて自分の手は既に
拳を作っていてギュッと力さえ入れている。
こんにゃくだったら、十中十、ちぎれるだろうなと思いながら足はもう
回転しているのね。

とりあえず[青春]について。


質問1:小・中・高の中で一番思い出深い時期は?

小学校:転校して初日から、給食を食べてた。
 もちろん給食セット、みんな持参。母親は持たせてくれて
 なかった。というかそもそもそんなこと気にもかけてなかった
 んだろうな。お昼、一体どうするつもりだったんだろうか。
 それはともかく学校からの帰り道すら、教えてもらえてなく、
 帰りに泣く。アホな子。アホな親。
 anyway, 給食セットを善意で貸してくれたSH子ちゃんは
 顔が色黒でワイルドだったので、最初は断り、その次に善意で
 貸してくれたSりちゃんのを二つ返事でお借りした。
 彼女は色白だった。

中学校:好きな子が、有名私立中学校に転校することになった。
 決してチャンスはなかったけれど、そして話したことがなかったけれど、
 ぼーっと眺めていた流れる雲が、「あれは冗談だよ」と
 言いに降りて来てくれればなぁ、とか思ってた。
 友達は隣の芝生でバスケをしていた。
 初めて、悩みがないのって、幸せだと実感。

高校:この辺は利害関係がばれるレベルになってくるから、消極的に書く。
 ある写真をロッカーの中に貼っていたら、「その写真はいやだ」と怒られ、
 「もっといい写真貼れば良いのに」と言われた。
 途中を端折るとそのあとすぐふられた。でもあの時ふられて良かったと思う。

 
質問2:1番お世話になった先生は、いつのときの先生ですか?

 英語の先生。がちゃめでクルクルの巻き髪で、自動販売機の上に上っては
 一着しかないズボンを引き裂き、、とことん変態的な発想で、ビデオの途中のエロシーンで
 一時停止するような先生だったけれど、彼は今も会いたい。
 出世してるとよいのにな。あぁいう先生が足りないご時世だから。
 
質問3:得意だった科目は?

 全部こなせた。ETCでVolkswagen Golfがすいすいと
 LANDROVER ディスカバリーを抜いていくのと似たような具合。
 でも授業は聞いてた。馬耳東風、馬に念仏、猫に小判、豚に真珠
 哲郎に授業。


質問4:では、苦手な科目は?

 苦手はなかった。給油所でTOYOTA Priusの
 ドライバーが、真夏日に列をなして餌を運んでいるアリの大群を、
 虫眼鏡を使ってじりじり焼いているのを横目で見ながら,
 「うわぁ〜、なんて話しかけにくいんだぁ〜」
 なんて思うような苦手さはなかった。

質問5:思い出に残った学校行事を3つあげてください!

ポッキーグラム:50セントと引き換えに、かわいいディズニーキャラクターの
 カードをもらえる。そのカードに宛先を書き(送り先の名前)、収集ボックスに
 投函する。すると、バレンタインの日とかに、カードが宛先のヒトのロッカーに
 ポッキーの袋と共に投函され、なんだかみんな「一様に」ハッピーにバレンタイン
 を迎えられる。
 友情と愛情と情を改めて実感する、NY慶應の一面。
 
 写真撮影:大嫌いの一言。襟シャツ、ネクタイ、蝶ネクタイ、サスペンダー、
 くし、鏡、ジェル、ワックス、折り目のズボン、全てその日だけなくなればよいと
 常々思いながら小学校、中学校時代を過ごした。いつも半泣きの顔。
 oshareが自分のためではなく、人を喜ばすためにあったと信じていたころだ。
 その矛盾に気づいて以来、指数関数的に写真撮影は好きになった。

質問6:学生時代はクラスでどんなキャラでしたか?

小学校:ちっちゃな子と一緒にガンダムのおもちゃで遊ぶ子。
中学校:ジャパニーズで、走るの速い、細い子。

質問7:学生時代の友達からの呼び名は?

およばれとか、されない

質問8:好きな給食のメニューは?

自動販売機で売られていたTWIXバー。
二本入っているものの、友達に見つかると、
くれ、ギヴ・ミー・フード、とねだられ、提供するのがオチ。
そうか。君らは友達ではなかったのか。今分かった。

それから自動販売機で売られていたFUNYONSという、
揚げタマネギリングのお菓子。
何一つとしてFUN要素はないパッケージと味。

それから日本で出た、ヨーグルトフルーツサラダ。
フルーツなのにサラダとは何ぞやと、いつもつつきながら
半信半疑で口に運んでいた覚えが絶えない。
ちなみに「ソフトサラダ」味のお菓子も、「なぜに?!」と
問いながらひょいひょい口に運んでいた覚えがある。


質問9:学生時代に出会った友人はあなたにとってどんな存在ですか?

喜んで自分の命をかけたいと思う仲間。

質問10:次にバトンを回す人

ぞの: ボールは右足にくっついていましたとさ。
とおるちゃん: さぁ、ぼけるのだ。今こそ、ぼけるのだ。
モモイロ: 青春を横目で冷静に見てきた感がある子。
明香ちゃん: のびのびと成長した感がある青春。
松岡さん: きっと自転車オイルとか、ローションとか登場する青春。
ともぐい: 青春嫌いそう。
ヂゲンさん: 絵がもう既に物語っているかも。
ふっちー: シェイクスピアン。きっとシェイクスピアン。
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by eclipseted | 2005-10-25 01:37 | [発insights想]
on ホカノヒトの悲しみ
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世界で最も悲しいこととはなにか、
とほんの少しだけ
思いを巡らせてみると、
考えた分だけの、相応する答え二つが返って来た。
それは伝えたいことが言えないでいること。
愛している人の悲しみを感じること。

それは例えばデザイナーのアイデアをアシスタントが
共有できないことや、いつもは二律双生の恋人達が
互いに自分が正しいと思っていることが伝わらない時に
最も顕著に感じられる。
後者にいたっては、もらい泣きに代表される
感情移入が、大切なヒトのことになる時ほど超過度
になることが言える。


これは死について同様なことが言えると思う。

人が亡くなって、最も悔しくて悲しいこととは、
もうその人とはこれまでごく普段通りに交わしてきた
平凡な会話すら、することができなくなることだと思う。
誰もが予期せぬ死であればあるほど、あれやこれやと
生前に伝えたかったことが心に残る確率が高い。
そんな残された想いの残像を抱えて生きていかないと
いけないことに、絶大な悲しみを感じる。

自分はおじいちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんが
亡くなっている。最も最近では去年の二月といったところだろうか。
その時は不思議と、これっぽっちの哀愁も感じなかったのだ。
5、6年前に寿命を迎えた、ペットのモルモットの死の方が、
強いて比べるとしたら悲しかったと思う。

まず後者から。
うちのモルモットは病気や腫れ物が起因して命を落とした。
その時はおもむろに泣いていたのが記憶に新しい。
彼女は普段は支えられている、柔軟な躯体が自力で支えられず、
四本の足が伸びきって地面に横たわっていた。なんとも非力な
余力を最後に振り絞って立とうと試みるものの、毎回持ち上げて
あげてもげんなり、ぐんにゃりのびてしまった。あの小ささで
自分の存在を保ち続けるのはさぞかし苦痛を伴ったのだろう。
次に前者。
祖父の寿命が残り短いと知り、容態が急変して病院に呼び出された時、
自分が最初にベッドに横たわっているてのひらを触ることが出来たの
だが、彼は既に心肺機能が停止しているとはいえ、冷え性の自分のてのひらの
数倍温かかったのだ。その一瞬だけ、取り残されていくのは自分である
気すらしたのだった。少しずつ下がっていく体温をきっかけにまるで現実に
引き戻されるようだった。


きっと自分は祖父には
もうそれ以上伝えるべきことがなかった
そう思う。それはもう十分にこれまで
託された時間内にやってきたことだったから。
あるいは半身不随になり、良性痴ほう症が
進むにつれて、疎通されるべきことがらは
その時その時伝えるのに精一杯だったからかも
しれない。

ではモルモットはというと、彼には無論
言い残したことはなかったと思う。
最初から、食用レタスをあげたり、両手で持ち上げて
じゃれてみたりしたところで果たして彼に対する
愛情が伝わっていたかどうかは知る由もないのだから。
では悲しかった理由は。

それはおそらく彼がいつもの様子ではなく、
上記のような、見るに耐えない非常な有様で
命を引き取ったからだろう。それは一見フリークショー
のようなおぞましさすら伴った。やはりそれが辛かったし、
それよりも彼を囲んでいた自分の家族が、今までは彼を
育て、保護し、ある程度は生き方を規定・保証・確立して
きたのに対し、死に至となると自力では何もしてあげられる
ことができない悲痛さと非力さに直面して悲しんでいたのを
見る方が辛かった。
ついつい自分よりも小さな動物なり下等な生き物だから
なんらかの手だてを踏めば自分の手で、今まで通りに
その生き方を左右させることが出来ると思い込んでしまうけれど
そんなことはない。そんなことは決してない。


肝心なことは二つ___________________________
一つが 全てを伝えることが出来なかった別れほど悲しいものはない
二つが 身の回りの愛している人達が悲しむこと程悲しいものはない

でも仮に、「伝えること」が完全に伝える相手のために
やることだったとすると、前者は、相手に伝えてあげることが
できなかったから悲しい、ということになる。相手の悲しみ。

そうすると、悲しみとは、ひょっとしたら
決して「自分のもの」ではなく、自分の周りに対する 

ホカノヒトの悲しみ  なのか。。
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by eclipseted | 2005-10-09 10:04 | [発insights想]
on 4歳の快挙
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どうやらホコリを掃除し忘れ続けた、
タンスの裏の角っこのような取り残された一カ所のごとく、
日記を放置していた。ははは。

「なぜ書くのをやめたか検証」

そもそも僕は物事を書くのにすごく時間がかかってしまうから、
なんとなく書かれているような書き込みでさえ、
結構な時間を費やしている。

ほぼ静止しているといってよいくらい、
動かない時間の中から、
まるで縁日の金魚すくいのように
ぴょいぴょいと(それもうまくいけばの話)
言葉を釣り上げて並べていくのが日記の作業内容。
時間浪費はやむを得ない。

さらに、自分以外のヒトが読んでくれる
(ありがとう)ともなれば
言葉遣いや内容にも多かれ少なかれ
気をつけるようになってしまう。

なぜか。
それはやはり自分が人一倍に
他人の目を気にしているからだろう。

これまでここまで育ってきて
自分のことをうまく説明することができない時は、
必ず他のヒトの自分に対する評価によって自分を格付けしてきた。
それはもう抜け出せないことだから、
いまさらどうこう意識改良することも、
それを弱みに思うこともないとしよう。そう。
とにかく見栄っぱりで、飾りたくて、目立ちたがり屋だから
結構質の悪い公開日記なんだろうな。

そういやぁ、昔はこんなことはなくて、
結構グレー色をした、恥ずかしがり屋だったような気がする。
幼稚園の毎年恒例の写真撮影の日や、
詩や音読の発表会なんぞ、晴れ舞台でとびきりのオシャレを
することをかたくなに拒んできたものだ。
周りのみんなは3、4歳にして、立派なバラ色の蝶ネクタイや、
流れる稲穂のような金髪をきっちりかっちり7・3分けにとかし、
満面の笑みをしっかりお披露目していた。ぱちぱち。
ところが僕と言えば顔は半泣き、髪の毛ぼさぼさ
まるで苦い虫を噛んだような表情がウリの写真だけを
家族アルバムに残すような、イタイイタイ子だった。イタイイタイ。

でもどこかである日それが変ったんだったよな。
自分でもうろ覚えなのだが、それは学校の裏庭の霊園で
徒競走の練習をしていた曇った日だったと思う。
その頃の自分は背も低く、終始鼻水を垂らしているような、
ちょっと鈍い子達の一員だったので
運動はとてもじゃないけれど
僕の専門領域外だった。
そう信じていたんだよね。
何回走っても負けるような徒競走しかしていなかったんだ。
しかしながら最後に走った一本だけ、50ヤードぐらいだったと思う、
その一本だけ、なぜかいつもと違ったんだよね。
走るにつれて周りの景色がやたらスローに流れ、
霧の中の雨粒が一滴、そしてまた一滴と
横に消えていくのすら確実に見えていた。
なぜだろうか、顔に当たる風がべちべち痛むぐらい。
そんなこんなで、不思議な心境でゴールインした僕は
明らかにこれまでとは違う速さを持っていた。

順位は6人中、5位。
これは、自転する地球が、回転速度を一瞬だけ速めるとか、
二輪の自転車が氷山を滑り降りる速度の世界記録を更新したとか、
プロマラソン選手が42.195kmを一時間41分で走りきるとか、
誰もが認めるイベント性がある記録更新なんかではない。
30人いるクラスメートの中で、僕が一位順位をあげようと
さげようと、クラスの誰一人として知ったこっちゃなかった。
メダルもなければ、"goog run, Ted"の一言もあるわけがない。
とある秋の午後、ニュージャージー州ウェーンにある小さな
ミショナリースクールの墓地のある校庭でただただ小さな、
それは本当に小さな
風が吹いただけのことだった。


しかしながら、

それは僕にとって
これまでかつてない
快挙であった。

そのネズミのくしゃみのような風は、
後に自分の人生の軌道を変えるのに必要な
力だけを兼ねそろえていたようだった。
そこから僕は今の自分に変身したのだったから。


まぁそんな変身がかれこれ19年程効力を保ち、
おかげで自分は今こんな質の悪い公開日記を書けているのだから、
よくわからないけれど、あの時のあの日に感謝しないと
いけないのだろうな。


そんなわけでちょっとの休憩を挟んで、日記を復活。
もっと自分にたくさんメッセージを残しておけ。
いつか再び読む時には絶対にがっかりしないからさ。
それだけは保証するよ。
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by eclipseted | 2005-10-02 01:58 | [発insights想]
on 3クリック先の隠れミノ
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数日前、もうすでに持て余し尽くした時間までもを
持て余してしまったので、米国一のオークションサイト、
ebayでフラフラすることに。
Arena, Benetton, Omega, Audi, Island, Ogilvy と
近頃気になっているキーワードや商品、値段(Islandなんてのが
その一例。どうやら時として島を売りたがる、そして買いたがるバイヤー
が存在するのだ。「0」がページ上に表示しきれないくらいの価格が、
ヘリコプターのフライオーバーかなにかで撮影された
孤島の上空写真のアイコンのとなりに、まるでふんぞり返っている
ように明記されている。
さらにこの島を買うメリットがキャッチーに記されていて、
"Buy your own Island. Be your own boss? That's so 80"s.
 Be your own king!"
[自分だけの島を買おう。自分がボスになる(自分のビジネスの、要は
独立することの自由さを表してる)?そんなのエイティーズだよ。
自分が王様になっちゃおうよ!] 
と、書かれている。
しかし島を購入したら王様になれるかといったら、
これはまた別の話だと思うのだがな。ちょうどTSUTAYAの
会員になれたとしても、未成年だったらAVはレンタルできない、とか
のように。なんかもっと主要手続きやら、法のかいくぐりとかが
あるのではないか。。)

を手当たり次第探し出し、
検索にかけていった。
するとBenettonのキーワードでヒットしたHOTという
オーデコロンを発見。最近のオークションサイトは至って便利で、
セリが始まる前段階で、入札者がいなければ、ある一定の
提示価格で商品を買うことが出来る。
セリが始まる前の、"BUY NOW" システムだ。

メリットは、その提示価格が定価よりも必ず安いこと。
セリで競うリスクを負わずに、購入できること、である。
ちょうど人間が安泰を求めてパートナーを選ぶのと似ている
気がする。
「彼はかっこよすぎるから、浮気されそう。
 だったらあまりぱっとしないけれど、
 同じぐらい気遣える彼がいいかも。」
あなたが冒険を好むか好まないかでこれはまた変るだろうが、
それは恋愛でも、競売でも共通して言える躍動感とか、
スリルとか、生き甲斐とか、挑戦とかだろう。

それはさておき、僕が見つけたのは、100mL 3.3ozのオーデコロンで、
"BUY NOW"価格が$2.95だった。
香水は家にはいくつかストックがあるし、
今のレパートリーにはおおいに満足している。

ところが破格でものを見つけた時の喜びや、
他の人に先を越されまいとして、ついつい
手を伸ばしてしまう、所有欲のようなものが働き、
"BUY NOW"ボタンをクリック。
さらに2、3立て続けにクリックを重ねて
画面を進んで行くと、購入済み、清算済み
そしてさらには配送済みの表示が。
驚く間もなく、所有欲は満たされる。



ここからが本題のような部分だが、
大人になるにつれて、少しずつ生活の不確定要素が、
自分の選り好みによってどんどん数を減らし、
自分の生活フォーマットができていっている。

何を言いたいかと言うと、すべて、身の回りのものが
自分の好んだ場所に落ち着き、必要な時にそこにあることで
生活を便利にしているということだ。

たとえば先ほどのクリック三つで配送済みが一例。
僕はクレジットカード番号も、配送先住所も、
配送保険加入登録もすでにしてある。
あとは自動清算が華の25日に行われ、
商品が届くのを待つだけだ(現にもう実家には
とどいているらしい)。

多少これらの生活安定は技術によって
支えられている面もあるし、ある程度の
事前登録などが必要。

しかしながら、技術面に頼らない、
生活を便利にしている小細工もある。
例えると、台所のシンクの上からぶらさがっている
包丁だ。包丁の柄の部分に穴があいていて、
それを上のラックに吊るすための、S字形をした
金具が通っている。
実践すると、
梨を食べる時には、それをシンクで洗い、
皮だけ包丁で剥くことになる。
ざらざらの表面を洗った後、目の前にぶら下がっている
包丁を手に取り、さくさく皮だけ削いでいく。
切り終わって(肝心の身までがごっそり
皮とともにもぎとられ、梨がじゃっかん
そのグラマーさを失った後)包丁をそのまま
シンクで水洗いをする。
包丁は拭きもせずに、またシンクの上のラックに
ぶらぶらぶらさがるために、S字形の金具にかけられて
ことは終了する。

僕は弟とともに生活をしているので、弟が
いかように包丁を使って調理するかは分からないが、
少なくとも自分がそれを使う時は、かぎりなく
短くて、無駄がない軌跡を追って包丁は動き、
そして使われていると断言できる。
包丁の毎日の動き、丁重な働きを見せる一生は
ほぼ、予測可能なのだ。


要は何が言いたいかと言うと、生きやすく、
活動しやすくするために、僕らは意識、無意識のうちに
身の回りをかぎりなく自分好みに「登録」しているということ。
パスネットはいつも右のポケットの一番奥に落ち着き,
帰宅した後の時計の定位置は明日の朝まで変ることなく、
サイトは「お気にいり」の最もアクセスしやすい
場所に設定し、
iPodは多少雨風にさらされても、操作のしやすさのために
鞄の外にへばりつかせる。
みんな生活のフォーマットが整っていった結果、
このような形、このような配置に定着していくのだ。

至極当たり前のことのようだが、敢えて言うのも悪くない。
なぜならそれは僕らの生活を楽にする努力であるとともに、
惰性の働きが見え隠れすることを意味するから。

もし今の生活の大部分が変ってしまったら、
クレジットカード番号がかわり、
携帯電話のメモリーが消え、
ポケットに穴が空き、
シンクの上のラックのねじがゆるみ、
地震で本棚が倒れ、かるく何百という
本がめっためたになぎだされ、
「お気に入り」がある時ゴミ箱で完全消去
されていたら。。

それこそ極めて神経を使う頭のギアの回転が、
今一度試される結果を及ぼす。
脳にとってはこの上ない訓練だと思う。
左手でトイレットペーパーをちぎったり、
毎回券売機でおつりの計算をすることも。

だけれど、それが何らかのきっかけによって
すべて一度に失われるよりも、日々少しずつ
自分の安泰を疑問視するべきなんだと思える。

最後に
「多忙は惰性の隠れ蓑」
という名言があるが、書いたことは少し
似通っていると思う。

忙しくしているからこそ、それを理由に
普段問うべき事柄を避けて通り、いかにも
自分がやるべきことをやっているかのように
感じる。 

「登録」することや、「フォーマット」化して
その作業に注力することも、それはそれで
頭を使うし、高等な作業だ。
しかしながらそれを隠れ蓑にすることで
自分が安泰しきった、平穏に身を委ねることほど
危惧されることはない。

"Be your own insurance broker. That's so 00s."だろう。
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by eclipseted | 2005-08-24 09:39 | [発insights想]
on bug's life
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序文:ガトリン

世界一って響きは悪くない。
全然悪くないよ、ガトリン君。
昨日の段階で世界で一番速く100mを走れる人間は
アメリカ人のジャスティン・ガトリンとなった。
これって昨日の段階で、彼は1/63億人という確率で
その地位を確実に確立したことになる。
いや、そもそも100m世界一に挑戦できる人の数も
限られているし、
それはさ、確かに世界中の人々が毎日5、6時間、血相を
変えてももあげやタイヤ引き、100mをダッシュ
することに時間を費やせば、ガトリンがその地位に
躍り出れた確率は下がったかもしれない。
しかしなんと言おうが、彼は1/6300000000
に昨日なった。

本文:イマイチ

僕は哲学者でもなんでもないし、なろうと思えばそれは
目をつむり、意識の扉から一歩下がった場所で深々しい
思想を巡らすことができる。
「私はだれ、」みたいな。

しかし僕の本職は哲学者ではない。

けれど、たまにakagi社のガツンとみかんをガリガリと
プール帰りに噛み砕きながら歩いている日など、自分の奇跡さ
にひとたび驚かされるようなことがある。
いや、正確に言うと、
「今現在ガリガリとアイスを口に加えながら、太陽の陽に当たれる
 こと"等の"境遇のよさ」に奇跡さを感じることがある。

そもそも137億年前に銀河系ができ、元素が核反応を起こしながらどんどんと
重元素から成る太陽系のようなものが作り上がったのは、偶然の巡り合わせ
としか言いようがない。
ましてや限りなく小さな誤差も許されることの
ない、地球のような球体や、まるで水や窒素、酸素や二酸化炭素の綿あめの
ような大気が生成されたことも、確率論的に不可能に近いはずだった。

はずだった。
(僕は180cmになるはずだった、みたいに)

それでもまだ奇跡の限界に挑戦しきれていなかったのか、
太陽光によって単細胞動物がひょんなとこから表れ、やがて
それを食す弱肉強食のみじんこちゃんたちの熾烈な争いが
始まり、(超熾烈だった)複雑な代謝を繰り返す動物たちが生まれた。

でもここはまだ序盤。
ふと水中よりも生きやすいかもしれない陸に上がる決意を
必然か偶然か、決意してしまったイタイ子たちがやがて
繁栄することになるのはもう既知である。

"good choice guys,"って感じだったね。

そこから奇跡はまだ続き、天変地異や異常気象などに影響されにくい
常温動物などが生まれ、やがて今日でも小学生達が互いに罵り合う
時のために酷使される「サル、ゴリラ、チンパンジー」達が
うろうろし始める。
そう。勿論絶滅していった、人間になりえる可能性をもった
動物達も他にもいた。

けれど、やっぱり火を起こして正解だったとおもうよ、僕は。

そんなこんなで、アダムとイブは知らないけれど、
互いに羞恥心を覚えたり、やっぱりあの猿人とうちは
ちょっと違うという識別意識が芽生えるようになった。

あっという間にホモサピエンス誕生だったんだよね。
それがいつのまにか、昔離れた海にもう一度、モノの試しに
もどってみる心がけなどによって、イカダのような道具が
発明され、ちょっとずつ頭でっかちになるに従って電気など開発
してしまい、電報や電線はたちまち空を飛んだ。

奇跡はまた奇跡を呼び、車は人力で走る必要がなくなり、
自由電子をビュンビュン飛ばすことで、ものの分子構造を
そのまま えいや、とプルプル振るわし、色々な有機物を変な箱の
中で「チン」して温めることも可能となった。
出版技術や記憶装置が開発され、物理的に見ることの
出来ない電子空間などを考案するほどにも育つことに
なったホモサピエンス。

そんな中で僕は生まれた。
いや、奇跡でしかない。
だって、健康な男性が一生の間、製造する精子の数は
1000000000000~2000000000000コ
と言われる。僕は兄弟が二人だから、
23年前にして、1999999999999を出し抜いて生まれた
生き物だったんだよね。
(妹は1999999999997を出し抜いた)
しかもそれだけじゃない。

2歳の時、もしかしたら蔓延していたインフルエンザにおかされず、
3歳の時、もしかしたらはびこっていた狂犬病持ちの犬にかまれず、
4歳の時、もしかしたらその頃多かった飛行機墜落事故などにまきこまれず、
7歳の時、もしかしたら迷ってしまったウォールマートとかで誘拐されず、
9歳の時、もしかしたら亡くなっていたかもしれない交通事故で亡くならず、
そして23歳の今日、もしかしたら頭痛と脱水症状と睡眠不足とめまいとで
そのまま溺れてしまったかもしれないプールで溺れずにすんだ。

今も生きている。
確率論的に言うと、137億年前に始まった宇宙の事を、今、
こうやって寝る前に顧みることのできる境遇で、奇跡中の奇跡中の奇跡
中のこれを100回くらい続けた奇跡なんだと思えてしょうがない。

しかもそんな奇跡的な自分は、ラッキーなことに「今」がすごく
好きだ。
「今」がいつも一番よい。
そんなのって、滅多にないよね。
だからオンリーワンとか、そういうのにもちょっと関連しているけれど、
自分もきっと1/63億を軽く超越してしまう、
「軽く、やばい」奇跡の一つなんだなと
つくづく思う今日この頃だ。

もう一度、
僕は
「今」がいつも一番よい。
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by eclipseted | 2005-08-09 00:36 | [発insights想]
on 月面の爪と地球の汗
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熱い週末はかならず終わる。
最後の氷のかけらが溶けきるように、
コリンと音を立てて終わろうする。
吐く息はもっぱら塩素で消毒されて
暑い部屋に戻ると大学生臭さが網戸の
編み目からするりと抜ける。

トコロテンとか浸透圧とか
そこらへん。

血中アルコール値は普段より高く
保たれ、普段飲む「美容と健康」の
ための飲酒行為を遥かに勝る。

引きずる頭痛と、ごりごりほぐされた
骨盤の好転反応もあいまって、
部屋と体温の温度差は一段と高まる。


こんな時はこんな想像する。
友達の、月面にあるフットサルコート程の
私有地を。
やがて向かえる夜の空と、
小さなかけらに収まりつつある太陽が、
おりなす冷ややかな真空管の中で、
ちょうど過ごしやすい20℃を通過するのは
何時、何分、
地球が何回回る時なのか。

フロートも氷にフロートしなくなり、
液晶表示は音も立てずに割れ、
膨張をおさえきれないダイエットコーラは華やかにアルミとともに飛び散り、
爪切りの中の爪はかすかな浮遊を続ける。


でもここは月面ではない。
汗は鉛直方向に流れ、
ひぐらしは人生最大の相方を見つける。
反抗期のひまわりはやがて朽ち果て、
トマトのヘタ付近は青くて苦い夕方の味がする。

全てが秒刻みに変化を向かえ、
これが暑い地球の一面ですべて起こりうる。


熱い週末は、熱い月曜日を迎えようとしている。
明日からも合宿です。
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by eclipseted | 2005-08-07 23:47 | [発insights想]
on 花火 japonais
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c'est 花火 japonais. don't you think?

L'autre jour, j'ai parle avec mes amis sur les choses
 qui sont nos priorites.
・the other day, I talked with my friends about things
 that are our priorities.

・優先順位について話す。

tu vas aller a quelque place avec ta petite amie, mais
 qu'est-ce que tu vas faire si un autre incident qui est
 tres t'interresse aussi?
・you plan to go somewhere with your partner, but
 what do you do when some other incident, similarly
 special happens to rendezvous with the former plan?

・重要と大切がランデウ゛したら、君はどうする?



たや思春期を共にした仲間との肝試し、スイカ割り、
ナマ肉バーニング、持ちよりネタ披露。河原で。
もう一方にはプティタミ。
久しく食べてないイタリエン。アディダス桜木町店。横浜港花火、臨港パークで。
立派なアニュアル事項のダブルブッキング。

自分は一人だけれど、一人で二人分生きるためには、
また、どちらも気持ちよく参加できずにいて、白旗降参は
したくない時には、少しずつどちらでも謝らないといけない。

午後3時。
前者は生肉バーニングと麦芽醸造缶飲料の買い出し、
ナマ肉バーニングのための野外バーニング装置組み立て、河原の石ころで、
そしてナマ肉バーニングとおともする、目にしみないタマネギとなすびの
下ごしらえで、時間制限ぎりぎりいっぱい。
何も焼かずに食せずに話せずに立ち去ることになる。
「ごめん。終電があるから。」と

午後6時。
後者には遅刻謝罪電子メールを送り続けた結果、予定時刻より62分
遅れで再会できる。
「本当にごめん。どこかへ入って、座って、食べて、観に行くか。
 それとも買って、歩いて食べて、観に行くか。
 分かった。じゃああまり時間もないことだし、ここは
 マクドナルドで買って、歩いて。。」
「。。。」
逆鱗に達せずに、ことは12分ほどでおさまる。
立場が逆だったとしても、19分ほどで僕もおさまれる。
ちなみに夕飯は、プティタミはあっさり、僕はジャンキー。
オリーブはいただく。ポテトはいただいてもらう。
つまむ両者、いいとこどり。
記念日は忘れど、大丈夫な理由はここに起因する。



    ____________
火japonais
我々は打ち上げ場からいささか遠い場所に陣取ってしまったため、
(いや、正確に言うと、始まる4分前に、半ば強引に
既に朝からきっちりと陣取っていた見物人のプラスチック
シートとプラスチックシートの間に割り込んだため、)
光と音を3、4秒のタイムラグを経て体験することになった。

「暗闇でドンっ」

それはそれとして、
花火japonais、じっくり見入ってしまうと、自分がどうやって、なんの目的で
そこの場にきたのかを忘れさせる魔力を持っている。
どことなく自然な灯の朽ち果て方を見ていると、2、3秒後に
何をどうしてよいのかを分からなくさせる。
オロオロするのもなんだから、ひたすらもう肉眼では見えない、
朽ち果てたはずの火の粉の軌跡を追う。
次の奇跡がまた、再び訪れるまで。
その繰り返しだ。
僕はそれが結構好きだ。



ともう一つ、花火japonaisの好きなところ。
それはみんながみんな思い思いの花火気分に浸れるから。
130db級の泣き声をわめきちらす赤ん坊がいても、
花火japonaisでは、みんな目つきが寛大。
「花火の音に負けるな、坊主」とか
「泣くのって、エネルギー必要よね」とか。

さらに泣き止まなくなる赤ん坊は、きっと
実はみんなの言っていることを完全に理解できていて、
プライドで泣き止めないんだと思う。

「がんばれ、若ゾウ」

だから、花火japonaisは、人がみんなちょっとだけ
"本来あってほしいべき姿の人っぽい"。

友達も書いていたけれど、
花火は人がいっぱいいるからいくのが面倒
という人が結構いるよね。
そんな方には

花火japonaisは、あなたが想像している人達とは少し違った人達しか
いませんよ。と一言言いたい。

今年のはまだ始まったばかりだから。
花火japonais, don't you think?
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by eclipseted | 2005-07-18 20:16 | [発insights想]
on 17年来デビュー 14歳娘
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その彼女の今の称号は冒険家。

芝公園セレブであり、
茶髪であり、
モデルルッキングであり、
そして一女の母でもあるが、
昨日は冒険家だった。

「なにがなんだかまったく分からないけれど、今すごく楽しいんですよ〜」

と一声しながら 過去分詞 have gone
と闘う。彼女のしかめっ面から
 なぜ過去の一定期間外の時間の振る舞いに
 haveを使うんだ、
 haveって持つっていう意味じゃないのか。
という疑いの念が伺える。
そうだろうな。goの過去の姿wentも怪しい、
ましてやgoneなんぞは未踏の地だろう。

それでも彼女は120分目までには
「私はパリにはいったことがない」
までなんとか言えるようになる。

「まったく、なに言っていいのか分からないけれど、
 本当に本当に楽しいんですよ。」

俺はしめしめと。

彼女にとっては17年ぶりの英語の学習、
いわゆるもはや使われることのない、
「外国語の授業」(第二、第三が課される時代なので)
以来、初めてのデビューだという。

「娘が今年の夏、カナダに留学するんです。
 だから私もついていったほうがよいと
 思って。けど英語は本当に久しぶりなんです。」

「かなり熱心ですね。。
 娘さん、いや、お嬢さんはおいくつなんですか?」

「娘は今年14なんです。でも私は17年ぶり
 の英語だから、ちっとも分からなくて〜
 娘が言っていることだけでも理解したくて、
 英語とり始めたんです。今日。」

(ひぃ、ふぅみぃ。。やっつ、ここのつ。。)
マッチ棒がまつ毛に乗る
(しかも二本ずつ!)
このおねえさんは年齢不詳。

だから余計に冒険家に写ったんだろう。
20年前、夫の仕事の関係で海外へ一緒に繰り出す
妻達は、それは相当の覚悟で日本を離れることになった。
そして幸も不幸も未知との遭遇が必ずと言ってよい程
待っていた。
うちの場合は幸い、未知とのソーグッドだった。
(お茶目で強烈なキャッチコピーだった)

だが今の時世、娘の短期留学のために妻達ががんばる。
体を張って have eaten caviar とhave never eaten caviar との
違いを学んでいる。
少しでも自分の子供の言っていることを理解するために、
遅ればせながらのデビューを果たす人々。それはエクスペディション以外
何ものでもない。
そんな人々が「分からないけれどすごく楽しい」
なんて言う。
「何がなんだか分からないけれど、すごく楽しいこと」
ってそう簡単にはないだろう。

デート中にどのパスタを食べるか迷った時も、
ブランコで靴飛ばししていた時も、
図画工作できもい粘土細工の"Volgar"を作って褒められた時も、
圧倒的にボールをゴールに叩き込んで圧勝した時も、
がんがん花火を発射させて身の危険を感じた時も、
楽しかった。

楽しいけれど何がなんだか分からなかったことは一度もない。
そんな体験 俄然あこがれるのは俺だけか。


それが冒険というものなんだろう。
何がなんだか分からないけれど、すごく楽しい、って。
そんなことを感じられる人がいる間、
俺は職にあぶれることはない。
自信を持って、
分からないを分かるに変え、
楽しいをまだまだ楽しいで維持させていくことができるから。

それを自分の冒険にできるかどうかは、また別の問題だ。
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by eclipseted | 2005-07-03 11:27 | [発insights想]