on パパの頻度
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昨日神宮外苑前でランニングしていた時のこと。
週末開催の自転車教室で、とある男の子の
自転車のペダルが、自転車のクランクからはずれちゃったわけ。
ぽとり、と音を立てて。

その瞬間を見ちゃった僕と、その子と丁度目があっちゃって。
おっと、みたいな。
周りに保護者らしい人もいなくて、早速歩み寄ってみた。

ペダルを拾って、男の子がまたいだままの
小さな自転車の横にしゃがんでなんとか修理を試みてみたとさ。
こきこき、ぐいぐいとペダルを取り付けようとしてるんだけれど
これがまたなかなかつかないことつかないこと。

で必死こいて汗をてれてれ流してやっているんだけれど、
その下を向いてペダルをこきこきやっている間、
彼は自転車に乗ったまま、大人しく僕の行動をずっと見ているんだよね。
尋常になくひたむきで小さな視線を
頭の上に感じながら。
じりじりと降り注いでくるそれ。
一秒ずつ時間が経つにつれて、ペダルを直してあげないと
いけない気持ちの焦りと、直してあげたい思いとが
込み上げてくるそれは、何とも言えなくただならないものだった。

声にはならないし、目も合わせないのだけれど、
確実にその空気のかたまりに二人分の思いがつまっていた。

結局僕はえらい大切なことを忘れていて、
(自転車のペダルって、漕いでいてはずれちゃわないように、
 引き締める方向は、逆時計回りなんだよね)
それに気づいてからペダルはすぐに元通りに戻ったんだけどね。

ペダルがついた自転車を漕ぎだし、何となくしっくりくることを
確かめながらその子は「ありがとぅ」と言い残して去って行った。

ちょっとの間彼の後ろ姿を目で追っていたんだけれど、
こういう、どれだけちっちゃくても、意志をもって生きてる
子どもとのやりとりって、自分の日常から欠けていたことに
気づかされて立ちすくんでしまった。

そんな子と触れ合う機会がないのは事実。
でもいざ自分にも家族が出来た時に、触れ合う時間を果たして
積極的に作れるかどうかは疑わしい。

接触機会ってのは、意識して作らないと、
家族の絆って太くならないのかもしれない。


それと併せて、今日はこんな定義に遭遇。

"For consumers the true value of
a network is measured by the
frequency of engagement of the participants."

-IAB 2009 Social Media Metrics Definitions

「関与する頻度によって価値(ソーシャルメディアの)が決まる」

決して度合いとか深度ではなくて、
関与する頻度によるって定義してるところが意外
だけどそれはおいておくとして、

consumersを家族のメンバー、
networkを家族、
engagementを関与、
とかに置き換えてみると、

それとなく家族のあり方、いや、あってほしいあり方に近くなる
気がしたことを感じた、
ことを覚えておこう、と思う。
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by eclipseted | 2009-09-23 23:26 | [発insights想]
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