on getting students to see
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最近、僕は生徒とのやりとりをとても大切にしようと
意識している。なぜなら僕が講師として与えられる
教養に匹敵するほどのいきていくうえにおいて
必要とされる感性を逆に気がつかしてくれるから。

今日の生徒は五年生、都内の某インターナショナルスクールに
通う女の子だ。彼女は変
数xに触れる一歩前の段階の
内容を英語で教わってきて、僕はその宿題を手伝った.

The perimeter of the barn Mr. Smith owns, is 190ft.
If the width of the rectangular barn is 15ft longer than
the lenth, what are the dimensions of the plot of land he owns.
といった類の質問を、歩み寄ってくる愛犬のシッポをかるくひっぱり
ながら生徒は音読をする。しかしいくら読んでも、頭には入らず、飲み込めない
状態が続いているのが彼女が水色のキャラクターシャーペンを
掌で転がしては落とし、それを数秒遅れて拾い上げてまた繰り返す
動作からも容易に察することができる。でも僕はやはり簡単には
答えを証して次の問題にすすむことが出来ない。普通の五年生ならば
家庭教師に問題を任せて、宿題
をいちはやく終わらせたいというのが
もってのほかの心境だろう。しかしやはりそれはできない。
だってそれでは彼女はなにも覚えない(ただでさえ理解している
時でも大半の教えたことは忘れ去ってしまうのに、解釈に苦しむ
問題なんてもってのほか、覚えるはずが無い)まま終わってしまう。
かといって、許容時間いっぱいいっぱいその問題だけを教え続ける
わけにはいかない。小学五年生とはいえ、頭にたたきこむことは
盛りだくさんであるから。総合的に考えると、やはり時は金なり。

では僕は何を教えにいっているのだろうか。いつも考えさせられる。
時間がすぎるまで生徒とぺちゃくちゃ、異文化交流が行われる
学校の事細かな五年生の毎日を聞いてすごしてもよいし、
適当なクリエイティブラ
イティングの課題を任せておいて、
僕は勝手気ままにぼんやりしていてもよい。
また逆に知識がこぼれるほど、みっちり指導してもよいのだ。

では僕は何を毎回心がけるか。
それは自分が指導しにいく90分なり、120分なりの
一日の断片を、できるかぎり +の体験にすること。
これにつきる。

学校外で、いや、ひょっとしたら一日でもっとも
学業と接している間に落ち着いて快く進める
ひと時にすることを懸命に意識している。
11歳の子供が知識で
得られるものには
限度がある。しかしながらその過程で体験できる、
学ぶことに対する前向きな姿勢や気持ちはには
計り知れないものがあると考えている。
もちろんこれは11歳の顧客に限っていえることでは
なく、社会人の生徒が自分が教えられる時間内で
提供できるものも、そう似ていなくはない。
文化を教える。体験させて、あらたな興味を共有する。
でも特に人格形成期の発展段階の11歳には
多大なる影響を与えられる。これを一ユーザーの
特性としてうけとめ、引き続き可能な限りの
 +の体験をさ
せていってあげたい。そしたら
かならず将来的な結果はついてくるはずだ。
できるかぎり、多面的で対象者特有のチカラに
なっていきたい。

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by eclipseted | 2004-09-14 23:28 | [発insights想]
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